【神社参拝のいろは2】 神様にお願いすること→× 神様と対話すること→〇 神様に質問すること→〇

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【神社参拝のいろは2】

神様にお願いすること→×

神様と対話すること→〇

神様に質問すること→〇

 

今回のテーマは神社で「お願い」すること。「対話」すること。「質問」することです

 

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【神社でなにをしているのか? 神社に行く意味とは?】

 

前の記事で書きましたが

「神社さんは本来お願い事をするところではありません。」


これは詳しくは前の記事を読んでほしいです、  

 

 とにかく結論ですが 

「神社は個人的なお願い事する場所ではない」

「神社はそもそも個人がお願い事する場所じゃない」

これは確かです。

 

 ただ別に、神社で「お願い」ことしたからと言って、神様は怒ったりはしません。

 

たとえエゴからの「酷い」お願いしても、特に罰は与えないでしょう。

 

だけど特別、叶えてもくれません。

 

 

では私たちは神社に行って何をするのでしょうか?

 


神社はあなた自身と向き合う場所です。

あなたの中の「神様」にご挨拶する場所です

そして「自分自身が神様である。」ことを思い出す場所です。


自分が神様である感覚を思い出したい。

これがあなたの中に湧いた「神社に行きたい」という衝動がもつ、本当の思いなのです。

 

 

【神社でお願い事をして、願いがかなったと感じる人】

 

けれど神社でお願い事をして、奇跡が起こった人と感じている人、願いがかなったと感じている人はいます。

 

そんな時にはいったい、なにがおこっているのでしょうか?

 

こんなプロセスが、起こっています。

 

  1. まず、あなたが人生で様々な体験をして、学びを終え準備ができています。
  2. 神社で願うことで、神聖な空間の中で願うことで「あなたの中の神様」が反応します
  3. あなたの中の神聖なエネルギー、神様の部分が刺激を受けていきます。
  4. あなた自身の力で現実が変わっていきます

 

外の神様が、あなたの現実に、特別手を加えたわけではありません。

 

 「変わる準備ができている」人は、

「願うこと」をきっかけにして、自分自身の深いところで変わっていきます。

その結果、新しい現実を創造するのです。

 

これはいつでも起こるわけではありません。

 

このプロセスは最初のところが肝心です。

 

その願い事について、「学び」を終えて「準備」ができていた人に限るのです。

 

最後のきっかけとして、「神様に呼ばれた」「心が神社に反応した」そんな時には

起こるべくして、「あなたの中の神様」が共鳴して奇跡が起こります。

 

これを「神様」が

「願いを叶えてくれた」

「神様のお力」だと

見ることもできるかもしれません。


しかしそれは、
あなた自身の「学び」を通じて
あなた自身が引き起こした結果なのです

 

【それでは、どうやったら神社で願い事を叶えることができますか?】

 

繰り返します。

神社は願い事をいう場所ではありません。

 

それでも「叶えたい人」、「お願いしたい人」はたくさんいることでしょう。

 

なのであえて説明します。

どうやったら神社で、願いを叶えることができるでしょうか?

 

拝み方でしょうか?
祝詞を唱えればよいのでしょうか?
特別な祝詞マントラ?祈祷?
それとも知られざるパワースポットに行けばよいのでしょうか?

 

そうではありません。

この問いに対する答えは一つです

 

それは

あなたが準備ができるまで

「現実世界で学び、努力すること」です

 

その学びを終え、最後に「神様に呼ばれた」「心が反応した」

そんな時には奇跡が起こります

 

その際、神社での礼拝、お願いはただのきっかけなだけです。

別に神社でもなくてもよいです。

 

ただ学びの最後にあなたに

「願いが叶える準備ができたこと」

「これまでのすべてに、そして起こる奇跡にただ感謝すること。」

この感覚があればよいのです。

多くの人は顕在意識にはこの感覚がないかもしれません。

だけどその人にとっての「一つの学び」を終え、潜在意識がこの感覚になったとき、

「あなたの中の神様」が反応して奇跡が起こるのです。

 

【現実世界での学び、努力とは】

 

現実世界での「学び」「努力」というのは

人それぞれ、その、願い、内容それぞれによって違います。

 

たとえば、「自分の神々と向き合う事」

「神聖なエネルギーを信じること」

これが必要な人は

 

毎日祝詞を唱えることや

遠くの場所「特別な神社」まで行くこと

「お百度参り」すること

なんてことが「学び」となったりします。

 

しかしそういった種類の学びではなく

 「現実社会」で生きていく

中での「学び」が

必要な人がたくさんいます。

 

  • 家族を大事にする
  • 時間を大事にする、
  • 仕事を大事にする
  • 自分の身体を大事にする、
  • 他人を大事にする
  • 動物を植物を、命を大事にする

 

そういった「学び」が多くの人の「準備」に必要なのです。

 

実際スピリチュアルなことを、いろいろ学び、神社仏閣をたくさん回った。

祝詞もたくさん唱えているし、毎回毎回丁寧にお願い事を欠かさずしています。

それなのに願いがかなわない!

 

そう思っている人は、

 往々にして
「現実社会の学び」が足りないのです。

 

他にも

大地を山を、自然を感じ愛おしく感じる学び

→山や自然に惹かれます。

 

学問を、知識を得て、この世界を知る学び、

→読書や研究に惹かれます。

 

人を導くことの学び

→経営者やリーダとなることに惹かれます。

 

人にコントロールされて初めて知る学び

→支配の強い人の下で、無我夢中で働くことに惹かれます

人と愛し合う学び、

人とけんかする学び

etc・・・
この世界には様々な学びがあります。

本当に多岐にわたります。


そして私たちはその学びをしたいと思って

この世界へとやって来ているのです。

 

【お金についての学び】

 

お金というエネルギーと関わりの学びも大事です。そのことについて、一部分だけここでは触れます。

 

古き時代、インドのグルたち、密教の僧侶たちは「喜捨」(寄付)を求めました。

あなたの入門にあたり「全財産の寄付」を求めた!なんてことも「古い教えの本」を読むとよく出てきます。

 

お金の持つエネルギーが過去より高まった現在では、このやり方はエネルギーのバランスとして、あまり良いことではないかもしれません。

 

今の時代は、そんな必要はありません。

もし全財産を寄付しろといわれたら、

「怪しい」と疑うべきです。

 

しかし、当時の人たちにとって、

お金への執着を捨てること、お金がないことへの恐怖心を手放すことが、「学び」として必要な人がいました

そのことが大事な「学び」となっていたこともありました。ある人にとっては、それは無駄なことではなかったのです。

 

 今現在、この世界は「お金を無理にため込む」ことができづらい時代です。

そんな財産の寄付をしなくても、「執着を捨てる」「恐怖心を手放す」学びが必要なのであれば、

それは別の形であなたのもとへやってくることでしょう。あなたの中の神様がその学びを求めるからです。

 

 

【お願いごとに意味がなければ、なぜ神社に行くのだろう?】

 

「神社で個人のお願い事をする」

その目的では神社は存在しません。

そういう目的で神社に行く意味はありません。

 

神様を信じていない、神聖な力に疑いを持っている人。それゆえ、「信仰心」「神様と向き合うこと」が「お願い事」という形であってもよいから「学び」として必要。そんな方を除けば、


神社では「個人的お願い」ことはしなくて良いのです。

 

それにそんな方であっても、家の神棚で良いし、家を清浄にしたうえであなた自身に、あなたの内なる神に祈るだけでよい場合がほとんどです。

 

あなたの「願い」は「学び」を終え、準備ができ、そこに感謝と祈りがあるのであれば、

 

どこであっても、なにであっても自ずと叶っていきます。

 

 

それではなんで神社に行くのでしょう?


「悟りの感覚」「自分が神様の感覚」を知る。これは大きな目的です。


しかし、別に悟りになんて興味ない!

「自分が神様」なんてことに興味がない

こんな人は神社にいく意味がないのでしょうか?

 

もちろん、そうではありません。

 

 

【神社にいくもう一つの意味、神様との対話】

 

これまで詳しくお伝えしてきた通り、

神社で「お願いごと」はあまり意味がないんです。「宣誓」をすること、人々のために祈ることは良いのですが、個人的お願い事をする場所ではないのです。

 

 

だけれども、

そこは「神社」、「神様の前」です。

正しく言うとあなたの中の神様と共鳴しふれあう場所です。

 

 

「お願い」は意味がありません。

 けれど「対話」は良いのです。

 

「昨日これこれがあってとても幸せです。」

「今日のこんなことに感謝です。」

 

こうやって神様に話しかけることは、

あなた自身の内なる神への感謝につながります。

素晴らしい対話です。

 

大事にしている神社さん

ご縁ある神社さんであれば、

「愚痴」だってかまいません。

神様はあなた自身そのものです。

だれよりも親身に聞いてくれます。

 

 

そしてです。

これが大事です!

 

「対話」の中で「質問」はOKなんです!


奥山は毎日のように、質問してきています(笑)

 

 

【神様への「お願い」と「質問」の違い】

 

お願い」はダメなのに、「質問」はいいのか?

答えを求めることもお願いではないか!?

 

その疑問はもっともです。

 

すこしわかりやすく説明します。

 

 

あなたに小さなお子さんがいるとします。

小学生低学年で今は夏休みの後半。

遊びすぎて、そろそろ宿題やらないとまずくなってきました。

 

 

そのときお子さんがあなたに言います!

「お母さん!(お父さん!)」

「僕の代わりに宿題全部やっておくれよ!!」


えっ!!?て思いますよね!

 

「ダメ!やりません!」

「あなたのためにならないでしょう!」

「自分でやりなさい!!」

 

たぶんあなたはお子さんにこう言いますよね?

 

(もし「代わりに全部やっちゃう」なんて甘やかした親御さんがいるなら、それは考え直したら方がよいです!お子さんの勉強のための宿題なのですよ。)

 

 

だけど同じ「お子さん」から

こう言われたらどうですか?

 

「お母さん(お父さん)」

「この宿題のこれこれの部分が良くわからないんだ!」

「ここの問題が、解けないんだ。すこし

勉強、教えてほしいな!」

 

こんなこと言われたら

 

「よし来た!」

「偉いぞ!」

「お母さん(お父さん)が教えてあげる!」

「できるだけ簡単なヒントあげるから、自分で解けるようになろうね!」

 

なんて思うでしょう?

もし中学、高校の数学とかだったらお手上げかもしれません。

けど小学生低学年の算数。きっと解き方知っている。

それであれば、喜んでお子さんに教えたくなるのでないでしょうか!

 

 

「神様」も同じです。

 

「お願い事」されたって

 

「あなたのためにならないよ!」

「自分で学ぼう!」

「学びが終わったら来てね!」

そう思います。

 

せっかく人生の学びのために、面白い体験のためにこの世界にきているのです。

宿題を、あなた以外がやっても、

外にいる神様に代わりにやってもらっても仕方ないでしょう?

 

もしかしたら

「ああ・・・この態度みていると、どうやらこの宿題はまだ早かったのだな。」

「この宿題だけではわからないのだな。」

「しょうがない。もうすこし簡単なレベルの宿題も一緒に出すか!」

なんてことになって

「宿題が増えてしまう!」かもしれませんよ(笑)

 

いや。心配いりません。不安に思う必要はありません。

「お願い事」しなければよいだけですからね。

 

 

そうではなくて

「神様、今わたしの人生でこんな問題が起こっています。」

「これは素晴らしい私の学び、宿題です。」

「起きていることに感謝します。」

「この学び、宿題にしっかりと向き合って、努力して自分でクリアしていきたいと思っています。」

 

「だけれども神様!」

「この問題は今の私には、とても難しいのです!」

「苦しいのです!」

「どうかすこしだけヒントを教えてくださいませんか!」

「どうぞよろしくお願いいたします」

 

 

そう質問したら

「神様」はあなたが人生の宿題、学びをしようとすることを歓迎します。

そして何らかの形で、ヒントを「メッセージ」をくれます。

 

あなたの中の「神様」は、

あなたの学びに対する真摯な意図に共鳴し、

あなたの神聖さの中からいろいろな形で

顕在意識へ伝えようと「表現」しようとするのです!

 

 

 

だからあなたが

真摯に問題から「学ぶ」ことをしていれば

「質問」はしてもよいのです!

 

「お願い」と「質問」の違いがわかったでしょうか?

 

 「お願い」は依存です。

「神様に叶えてもらった」これも大きな勘違いです。

 

あなたが学び、あなたが現実を創造した結果

自ずと奇跡が起こるのです。

 

「質問」は学びです。

それはあなたの成長につながるのです。

 

 

【学びの質問と、質問にならない依存】

 

あなたが「神様」に一から百まで全部聞いて

人生の答えをすべて教えてもらおう!

神様に聞けば何でもわかるんだ!

 

そう思って「質問」するとします。

これは「学び」でも何でもありません。

ただの「依存」です。

 

「占い師」に「霊能者」に何でも相談して、すべて決めてもらう!

なんていうのも同じです。ただの依存です。

 

夏休みの宿題を誰か「他の子」の回答「丸写し」で提出する悪ガキと同じです。

なんにもあなたの学びになりません。

 

 

神社でこんな依存的な質問をした時、

神社の神様はただあなたに微笑むだけで、たいてい何も教えてくれません。

 

そんな質問する人に、メッセージを伝えようとすることはほとんどありません。特殊な時だけです。

 

たとえば、

だれかの命に関わるとき、

あなたがどうしても引き返せない人生の瀬戸際にきていて、

それをあなたの中の神様が「魂の底」から「警告」しているとき

 こんな時だけです。

 

もしもです。

神様の声が聞こえると思っている人。

あるいは「神様」の声が聞こえるチャネラーのところに行って

 

あなたがなんでもかんでもすべて

「教えてくれ!」「決めてくれ!」といったとき

 

「おまえはこうしろ!」

「これが絶対正しい!」なんて

具体的に言う「神様」がいるとすれば

 

それはちょっと

「神様」かどうか怪しいかもしれません。

 

 

神様はあなたの中にいます。

あなたの中の神様はただあなたの成長を、学びを望んでいるのです

あなたの学びにつながることしか行いません。

 

 

【神様がおしえたくなるような「質問」の仕方が大事】

 

「神様」ってあなたの心の中にいるんです。

自分の心の中の神様が、楽しくなって、うれしくなって、

教えたくなるように質問すればいいんです!

 

お母さんに宿題教わるのと同じです。

 

人生の宿題にちゃんと向き合う姿勢、覚悟、

まずは挑戦したという努力

そういったことがあった上に

神様に「ヒント」くださいと質問してみればよいのです!

 

神様からヒントをいただいて、

そして人生の宿題をひとつひとつ

自分でこなしていきましょう!

 

その先に「解決」が、「奇跡」が新しい人生が待っているのです。

 

 ーーーーーーーーー

 

以上「偉そうな神様」タイムでした(笑)

 

書き終えるとふっと気が抜けていきます。

それでもうこんな時間!って気が付くんですが

 

なんと今「4:44」ですよ!

「神様」僕、何も質問してないよ??

いったい何のメッセージですかこれはー??

 

 

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