【神社参拝のいろは2】 神様にお願いすること→× 神様と対話すること→〇 神様に質問すること→〇

【神社参拝のいろは2】

神様にお願いすること→×

神様と対話すること→〇

神様に質問すること→〇

 

今回のテーマは神社で「お願い」すること。「対話」すること。「質問」することです

 

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【神社でなにをしているのか? 神社に行く意味とは?】

 

前の記事で書きましたが

「神社さんは本来お願い事をするところではありません。」


これは詳しくは前の記事を読んでほしいです、  

 

 とにかく結論ですが 

「神社は個人的なお願い事する場所ではない」

「神社はそもそも個人がお願い事する場所じゃない」

これは確かです。

 

 ただ別に、神社で「お願い」ことしたからと言って、神様は怒ったりはしません。

 

たとえエゴからの「酷い」お願いしても、特に罰は与えないでしょう。

 

だけど特別、叶えてもくれません。

 

 

では私たちは神社に行って何をするのでしょうか?

 


神社はあなた自身と向き合う場所です。

あなたの中の「神様」にご挨拶する場所です

そして「自分自身が神様である。」ことを思い出す場所です。


自分が神様である感覚を思い出したい。

これがあなたの中に湧いた「神社に行きたい」という衝動がもつ、本当の思いなのです。

 

 

【神社でお願い事をして、願いがかなったと感じる人】

 

けれど神社でお願い事をして、奇跡が起こった人と感じている人、願いがかなったと感じている人はいます。

 

そんな時にはいったい、なにがおこっているのでしょうか?

 

こんなプロセスが、起こっています。

 

  1. まず、あなたが人生で様々な体験をして、学びを終え準備ができています。
  2. 神社で願うことで、神聖な空間の中で願うことで「あなたの中の神様」が反応します
  3. あなたの中の神聖なエネルギー、神様の部分が刺激を受けていきます。
  4. あなた自身の力で現実が変わっていきます

 

外の神様が、あなたの現実に、特別手を加えたわけではありません。

 

 「変わる準備ができている」人は、

「願うこと」をきっかけにして、自分自身の深いところで変わっていきます。

その結果、新しい現実を創造するのです。

 

これはいつでも起こるわけではありません。

 

このプロセスは最初のところが肝心です。

 

その願い事について、「学び」を終えて「準備」ができていた人に限るのです。

 

最後のきっかけとして、「神様に呼ばれた」「心が神社に反応した」そんな時には

起こるべくして、「あなたの中の神様」が共鳴して奇跡が起こります。

 

これを「神様」が

「願いを叶えてくれた」

「神様のお力」だと

見ることもできるかもしれません。


しかしそれは、
あなた自身の「学び」を通じて
あなた自身が引き起こした結果なのです

 

【それでは、どうやったら神社で願い事を叶えることができますか?】

 

繰り返します。

神社は願い事をいう場所ではありません。

 

それでも「叶えたい人」、「お願いしたい人」はたくさんいることでしょう。

 

なのであえて説明します。

どうやったら神社で、願いを叶えることができるでしょうか?

 

拝み方でしょうか?
祝詞を唱えればよいのでしょうか?
特別な祝詞マントラ?祈祷?
それとも知られざるパワースポットに行けばよいのでしょうか?

 

そうではありません。

この問いに対する答えは一つです

 

それは

あなたが準備ができるまで

「現実世界で学び、努力すること」です

 

その学びを終え、最後に「神様に呼ばれた」「心が反応した」

そんな時には奇跡が起こります

 

その際、神社での礼拝、お願いはただのきっかけなだけです。

別に神社でもなくてもよいです。

 

ただ学びの最後にあなたに

「願いが叶える準備ができたこと」

「これまでのすべてに、そして起こる奇跡にただ感謝すること。」

この感覚があればよいのです。

多くの人は顕在意識にはこの感覚がないかもしれません。

だけどその人にとっての「一つの学び」を終え、潜在意識がこの感覚になったとき、

「あなたの中の神様」が反応して奇跡が起こるのです。

 

【現実世界での学び、努力とは】

 

現実世界での「学び」「努力」というのは

人それぞれ、その、願い、内容それぞれによって違います。

 

たとえば、「自分の神々と向き合う事」

「神聖なエネルギーを信じること」

これが必要な人は

 

毎日祝詞を唱えることや

遠くの場所「特別な神社」まで行くこと

「お百度参り」すること

なんてことが「学び」となったりします。

 

しかしそういった種類の学びではなく

 「現実社会」で生きていく

中での「学び」が

必要な人がたくさんいます。

 

  • 家族を大事にする
  • 時間を大事にする、
  • 仕事を大事にする
  • 自分の身体を大事にする、
  • 他人を大事にする
  • 動物を植物を、命を大事にする

 

そういった「学び」が多くの人の「準備」に必要なのです。

 

実際スピリチュアルなことを、いろいろ学び、神社仏閣をたくさん回った。

祝詞もたくさん唱えているし、毎回毎回丁寧にお願い事を欠かさずしています。

それなのに願いがかなわない!

 

そう思っている人は、

 往々にして
「現実社会の学び」が足りないのです。

 

他にも

大地を山を、自然を感じ愛おしく感じる学び

→山や自然に惹かれます。

 

学問を、知識を得て、この世界を知る学び、

→読書や研究に惹かれます。

 

人を導くことの学び

→経営者やリーダとなることに惹かれます。

 

人にコントロールされて初めて知る学び

→支配の強い人の下で、無我夢中で働くことに惹かれます

人と愛し合う学び、

人とけんかする学び

etc・・・
この世界には様々な学びがあります。

本当に多岐にわたります。


そして私たちはその学びをしたいと思って

この世界へとやって来ているのです。

 

【お金についての学び】

 

お金というエネルギーと関わりの学びも大事です。そのことについて、一部分だけここでは触れます。

 

古き時代、インドのグルたち、密教の僧侶たちは「喜捨」(寄付)を求めました。

あなたの入門にあたり「全財産の寄付」を求めた!なんてことも「古い教えの本」を読むとよく出てきます。

 

お金の持つエネルギーが過去より高まった現在では、このやり方はエネルギーのバランスとして、あまり良いことではないかもしれません。

 

今の時代は、そんな必要はありません。

もし全財産を寄付しろといわれたら、

「怪しい」と疑うべきです。

 

しかし、当時の人たちにとって、

お金への執着を捨てること、お金がないことへの恐怖心を手放すことが、「学び」として必要な人がいました

そのことが大事な「学び」となっていたこともありました。ある人にとっては、それは無駄なことではなかったのです。

 

 今現在、この世界は「お金を無理にため込む」ことができづらい時代です。

そんな財産の寄付をしなくても、「執着を捨てる」「恐怖心を手放す」学びが必要なのであれば、

それは別の形であなたのもとへやってくることでしょう。あなたの中の神様がその学びを求めるからです。

 

 

【お願いごとに意味がなければ、なぜ神社に行くのだろう?】

 

「神社で個人のお願い事をする」

その目的では神社は存在しません。

そういう目的で神社に行く意味はありません。

 

神様を信じていない、神聖な力に疑いを持っている人。それゆえ、「信仰心」「神様と向き合うこと」が「お願い事」という形であってもよいから「学び」として必要。そんな方を除けば、


神社では「個人的お願い」ことはしなくて良いのです。

 

それにそんな方であっても、家の神棚で良いし、家を清浄にしたうえであなた自身に、あなたの内なる神に祈るだけでよい場合がほとんどです。

 

あなたの「願い」は「学び」を終え、準備ができ、そこに感謝と祈りがあるのであれば、

 

どこであっても、なにであっても自ずと叶っていきます。

 

 

それではなんで神社に行くのでしょう?


「悟りの感覚」「自分が神様の感覚」を知る。これは大きな目的です。


しかし、別に悟りになんて興味ない!

「自分が神様」なんてことに興味がない

こんな人は神社にいく意味がないのでしょうか?

 

もちろん、そうではありません。

 

 

【神社にいくもう一つの意味、神様との対話】

 

これまで詳しくお伝えしてきた通り、

神社で「お願いごと」はあまり意味がないんです。「宣誓」をすること、人々のために祈ることは良いのですが、個人的お願い事をする場所ではないのです。

 

 

だけれども、

そこは「神社」、「神様の前」です。

正しく言うとあなたの中の神様と共鳴しふれあう場所です。

 

 

「お願い」は意味がありません。

 けれど「対話」は良いのです。

 

「昨日これこれがあってとても幸せです。」

「今日のこんなことに感謝です。」

 

こうやって神様に話しかけることは、

あなた自身の内なる神への感謝につながります。

素晴らしい対話です。

 

大事にしている神社さん

ご縁ある神社さんであれば、

「愚痴」だってかまいません。

神様はあなた自身そのものです。

だれよりも親身に聞いてくれます。

 

 

そしてです。

これが大事です!

 

「対話」の中で「質問」はOKなんです!


奥山は毎日のように、質問してきています(笑)

 

 

【神様への「お願い」と「質問」の違い】

 

お願い」はダメなのに、「質問」はいいのか?

答えを求めることもお願いではないか!?

 

その疑問はもっともです。

 

すこしわかりやすく説明します。

 

 

あなたに小さなお子さんがいるとします。

小学生低学年で今は夏休みの後半。

遊びすぎて、そろそろ宿題やらないとまずくなってきました。

 

 

そのときお子さんがあなたに言います!

「お母さん!(お父さん!)」

「僕の代わりに宿題全部やっておくれよ!!」


えっ!!?て思いますよね!

 

「ダメ!やりません!」

「あなたのためにならないでしょう!」

「自分でやりなさい!!」

 

たぶんあなたはお子さんにこう言いますよね?

 

(もし「代わりに全部やっちゃう」なんて甘やかした親御さんがいるなら、それは考え直したら方がよいです!お子さんの勉強のための宿題なのですよ。)

 

 

だけど同じ「お子さん」から

こう言われたらどうですか?

 

「お母さん(お父さん)」

「この宿題のこれこれの部分が良くわからないんだ!」

「ここの問題が、解けないんだ。すこし

勉強、教えてほしいな!」

 

こんなこと言われたら

 

「よし来た!」

「偉いぞ!」

「お母さん(お父さん)が教えてあげる!」

「できるだけ簡単なヒントあげるから、自分で解けるようになろうね!」

 

なんて思うでしょう?

もし中学、高校の数学とかだったらお手上げかもしれません。

けど小学生低学年の算数。きっと解き方知っている。

それであれば、喜んでお子さんに教えたくなるのでないでしょうか!

 

 

「神様」も同じです。

 

「お願い事」されたって

 

「あなたのためにならないよ!」

「自分で学ぼう!」

「学びが終わったら来てね!」

そう思います。

 

せっかく人生の学びのために、面白い体験のためにこの世界にきているのです。

宿題を、あなた以外がやっても、

外にいる神様に代わりにやってもらっても仕方ないでしょう?

 

もしかしたら

「ああ・・・この態度みていると、どうやらこの宿題はまだ早かったのだな。」

「この宿題だけではわからないのだな。」

「しょうがない。もうすこし簡単なレベルの宿題も一緒に出すか!」

なんてことになって

「宿題が増えてしまう!」かもしれませんよ(笑)

 

いや。心配いりません。不安に思う必要はありません。

「お願い事」しなければよいだけですからね。

 

 

そうではなくて

「神様、今わたしの人生でこんな問題が起こっています。」

「これは素晴らしい私の学び、宿題です。」

「起きていることに感謝します。」

「この学び、宿題にしっかりと向き合って、努力して自分でクリアしていきたいと思っています。」

 

「だけれども神様!」

「この問題は今の私には、とても難しいのです!」

「苦しいのです!」

「どうかすこしだけヒントを教えてくださいませんか!」

「どうぞよろしくお願いいたします」

 

 

そう質問したら

「神様」はあなたが人生の宿題、学びをしようとすることを歓迎します。

そして何らかの形で、ヒントを「メッセージ」をくれます。

 

あなたの中の「神様」は、

あなたの学びに対する真摯な意図に共鳴し、

あなたの神聖さの中からいろいろな形で

顕在意識へ伝えようと「表現」しようとするのです!

 

 

 

だからあなたが

真摯に問題から「学ぶ」ことをしていれば

「質問」はしてもよいのです!

 

「お願い」と「質問」の違いがわかったでしょうか?

 

 「お願い」は依存です。

「神様に叶えてもらった」これも大きな勘違いです。

 

あなたが学び、あなたが現実を創造した結果

自ずと奇跡が起こるのです。

 

「質問」は学びです。

それはあなたの成長につながるのです。

 

 

【学びの質問と、質問にならない依存】

 

あなたが「神様」に一から百まで全部聞いて

人生の答えをすべて教えてもらおう!

神様に聞けば何でもわかるんだ!

 

そう思って「質問」するとします。

これは「学び」でも何でもありません。

ただの「依存」です。

 

「占い師」に「霊能者」に何でも相談して、すべて決めてもらう!

なんていうのも同じです。ただの依存です。

 

夏休みの宿題を誰か「他の子」の回答「丸写し」で提出する悪ガキと同じです。

なんにもあなたの学びになりません。

 

 

神社でこんな依存的な質問をした時、

神社の神様はただあなたに微笑むだけで、たいてい何も教えてくれません。

 

そんな質問する人に、メッセージを伝えようとすることはほとんどありません。特殊な時だけです。

 

たとえば、

だれかの命に関わるとき、

あなたがどうしても引き返せない人生の瀬戸際にきていて、

それをあなたの中の神様が「魂の底」から「警告」しているとき

 こんな時だけです。

 

もしもです。

神様の声が聞こえると思っている人。

あるいは「神様」の声が聞こえるチャネラーのところに行って

 

あなたがなんでもかんでもすべて

「教えてくれ!」「決めてくれ!」といったとき

 

「おまえはこうしろ!」

「これが絶対正しい!」なんて

具体的に言う「神様」がいるとすれば

 

それはちょっと

「神様」かどうか怪しいかもしれません。

 

 

神様はあなたの中にいます。

あなたの中の神様はただあなたの成長を、学びを望んでいるのです

あなたの学びにつながることしか行いません。

 

 

【神様がおしえたくなるような「質問」の仕方が大事】

 

「神様」ってあなたの心の中にいるんです。

自分の心の中の神様が、楽しくなって、うれしくなって、

教えたくなるように質問すればいいんです!

 

お母さんに宿題教わるのと同じです。

 

人生の宿題にちゃんと向き合う姿勢、覚悟、

まずは挑戦したという努力

そういったことがあった上に

神様に「ヒント」くださいと質問してみればよいのです!

 

神様からヒントをいただいて、

そして人生の宿題をひとつひとつ

自分でこなしていきましょう!

 

その先に「解決」が、「奇跡」が新しい人生が待っているのです。

 

 ーーーーーーーーー

 

以上「偉そうな神様」タイムでした(笑)

 

書き終えるとふっと気が抜けていきます。

それでもうこんな時間!って気が付くんですが

 

なんと今「4:44」ですよ!

「神様」僕、何も質問してないよ??

いったい何のメッセージですかこれはー??

 

 

【↓パワースポット紹介ブログです↓良かったら読んでください~♪】

 

  

 

僕の中の偉そうな神様の話

 

最近ブログ書く時、僕と違う「なにか」に書かされる感じがしてます。

 

「神社参拝いろは」からずっと気になっていたんですが、「 本の読み方」書いてる時にはっきりと気がつきました!

 

この「なにか」 !

ブログ書き始めると急に現れてきます。

 

このめっちゃ「偉そうな奴」はいったい何者なんだろう??💦💦

 

今日一晩、このなにかについて

ずっと感じていました。

 


これももちろん、内なる自分だとは思う

けど素の自分と違う


うーん、このまま任せて書いてても良いのかな?

と考えました。

 

この存在の書いたブログを読むと、

普段の僕と違う

すごい叡智をもってるなあと思います!

 

だけどぼくはいつでも100パーセント信じないで疑ってみます。 いつでもどこでも、自分が何をかんじているのか、正しいのか確認してみます。

 

とにかく1度疑え!

これは何人もの先生に言われた、スピリチュアルな教えのひとつです。

 

なので見直します。

 

この何か、名前ないと呼びづらいから、

「偉そうな神様」と名付けました。 

すっごい叡智と偉そう感(笑)

どっちも持ってます(^o^)

 

この偉そう感がなんか引っかかって(笑

(自分で書いてるのにね💦)

 

 ゆったりそこを感じてみました。

 


この、偉そうな神様は

僕の中の神聖な「叡智」の部分が表現しようとでてきているみたいです。

 

でもそこに僕の「エゴな部分」がちょっとくっついて、それで偉そうな感じになってます!

 

このエゴ手放せばもっと良いもの書けそうです!

 

まいにちまいにち、自分クリアにクリアにして、すこしずつ手放さなきゃと思います!

 

でも、このままでもすごいメッセージが出てます(笑

 

だから、エゴについて反省しながら、

この「偉そうな神様」とつきあって行きたいなと思います(^o^)

 

何はともあれ、あるがままです(^o^)


そしていつでも、学び、精進あるのみです!

 

 

 

そうそう、偉そうな神様がかいた

「神社参拝のいろは」って記事


すこ~しニュアンスを誤解されそうなところがあります。僕のエゴなところが、ちょと語気を強めたのだとおもいます(笑)

 

 

神様ってね

別に「お願い」しても

特に怒りません♪

バツも与えません♪

 

けどあなたの代わりになにかやってもくれません(笑) 

笑って愛してくれるだけです♪

 

だから、神社さんはお願いする所ではないんだけど、したくなったら別にしても良いと思います。

 

ただね!

応援してくれても、叶えてはくれないよ!

 

この3次元の現実をかえるのは、

外の神様ではなくて僕自身だよ!

変えるのは、変わるのは、

あなた自身だよ!

ってことが言いたいのです。

 

偉そうな神様がでてくると語気がつよいから、もしかしたら、分かりづらくなってるかも知れません💦

でもいいたいことはそんなことです♪

  

 

そしたらね!

じゃあ、なんで神社いくの?

ってなりますよね?

 

それはね。


神様はあなたのお願い事は叶えてくれなくてもね 


神様とお話はできるんだよね。

質問できるんだよね。

ヒントはくれたりするんだよね!

だからいくんだよね!

 

ああ、このことをなんか「偉そうな神様」がもっと丁寧に書きたいと言ってます。

 

このまま「偉そうな神様」に任せて、書き始めたら、数時間コースな気がします(笑)


だけど今日は眠くなって来たんです(笑) だから明日また書きます(^o^)

 

おやすみなさい。また明日(^o^)

いつもありがとうございますm(_ _)m 

 

【パワースポット】事前に神社について学ぶこと、意識があなたの参拝を変える【2社目】伊勢・豊受大神宮(外宮)

【パワースポット紹介】社目

日本中の神社、盤座、パワースポットを回ってきました♪仕事としてもパワースポットツアーを企画させてもらいまして、本当に多くの場所、導かれたとしか思えない様々な場所に挨拶してまいりました。そんな素晴らしいパワースポットを紹介したいなと思います^^ 


【日本の中心に参拝する】

第2社目としてご紹介したいのは日本の総氏神神道信仰の中心お伊勢様です。
そのなかでもあえて【豊受大神宮(外宮)】をご紹介したいとおもいます。

日本の信仰の中心、伊勢神宮
その正宮のひとつ、外宮は俗称で正しくは豊受大神宮といいます。

御祭神は名前の通り、豊受大神様で、
元は丹波にいた神様がこちらに呼ばれて祀られたといわれています。

一般的には食の神様、豊作の神様とも言われていますね♪
どなたか有名ブログ主さんが、絶賛されてさらに有名になったお宮でもありますね(^o^)

 

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遷宮前の伊勢外宮 毎年行ってますなかなか写真撮らないのです💦

豊受大神宮(外宮) 
三重県伊勢市豊川町279

アクセス|伊勢神宮


【神社の教えが生まれた地、外宮】


この外宮様ですが、エネルギー的にはもちろんですが、歴史的経緯から見ても、とても特別な場所です。

それはこの地で神道の教え、体系が生まれたといわれているからです。



〇ちょっと長いですが歴史のお話です。


神社が伝える生き方の教え「神道の教え」。一霊四魂の教えから神国の思想までいろいろありますが、その思想が生まれ、体系としてまとめられたのは実は遅く、鎌倉中期の話といわれています。


中世までにもちろん、日本各地に神社はあり、信仰を集めていましたが、しかし当時の日本の信仰と思想の中心は、神道ではなく、大陸より渡ってきた「仏教」でした。


生きる目的は仏教から学ぶ時代。
当時の神社のメインのお仕事は、その土地そのお宮ごとの伝統的催事やお祭りを行うこと各神社ごとの謂れ、伝説や伝統はあっても、神道としてのまとまった教えはありませんでした。
当時の神社は生きる目的を探求し伝えていく場ではなかったのです。


またそれまで神社は朝廷や貴族から厚いサポートをもらっていて、食べることに困らなかったこと、伝統儀礼を守ることが第一とされていた、といった背景もあります。

当時一番信仰を集めていたのは「熊野信仰」でしたが、その信仰は、仏教と山岳信仰が強く混ざりあったもので、仏教の教えを非常に色濃くもったものでした。

 

この当時は神仏が混ざり合っていた時代です。神道としての独立した確たる教えというものが必要とされなかったのかもしれません。


この流れが変わったのは朝廷・貴族から武士への権力の移動。つまり鎌倉時代、関東の武士たちの台頭でした。祈祷の専門家として関東に招かれた神官たちは、当時の最先端の学びをしていた仏僧たちに、知恵で勝ることが出来ませんでした。

このままでは新しい権力下で信頼を得ることができない。
神社にも本格的な思想が必要だ!

そのように必要に迫られた時代背景の中、伊勢外宮の神官が、古事記日本書紀や神社に語り継がれる伝統的教え、さらに道教や仏教の良いところも拾って、一緒にまとめて作り上げた教えが「伊勢神道」です。

現在まで伝わる神社の教えや、神話に基づく道徳的教えの多くはこの時まとめられ、あるいはこの伊勢神道に多大な影響を受けた形で、さまざまに分かれながら発展していったのです。

またその後元寇の際に、「神風信仰」と共に伊勢神道は日本全体に広がり、大きく信仰を集め、現在の伊勢の信仰へとつながっていきました。

※参考 中世伊勢神道の研究 ( 続群書類従完成会

 

【事前に神社について学ぶということ】

そんなわけで伊勢の『外宮』は神社の教え、神道の知恵の発祥の地なのです。

このことを知っておいて、外宮を参拝するだけで、

参拝時のあなたの意識が、神社を見る目が変わります。
そのときあなたの受け取るエネルギーも変わってくると思いませんか!?


よく神社でご神気を受け取るといいますが、
神さまがただただ与えてくれるのではなく
受け取っているのはあなたです。

あなたの意識が、感覚が
そのお宮に対して、そのパワースポットに対してどのように開いているのか?

それで受け取るものは変わってきます。


結局、与えるのも、受け取るのも
あなたの中にいる神様です。

参拝する際のあなたの感覚が、意識がとても大切なのです。

 


なので神社に参拝するときにこうした神社の背景を知っておくことはとても役に立つことだと思います。


もちろん「神様に呼ばれた」かのように
突然参拝することもあるかと思います。

その際も参拝後でもよいので、

この神社様で何が起こったのか?
なぜ大事にされているのか?


などなど神社について調べてみると

とても面白いですよ!



【伊勢 外宮紹介】

さてまたまた長くなりましたがいよいよ本題。 伊勢の外宮様です。

 

外宮様は広いのですが、立入禁止区域も広く、参拝できるところは限られています。


そのなかでいくつかご紹介できればと思います。

今回は内緒にしないでお気に入りスポットをかくぞ( ̄▽ ̄)

 

 

1、月夜見宮

天照大御神のお弟神、月夜見尊様の祀られる、月夜見宮。外宮のなかではなく、伊勢市駅に近い境外社になります。

参拝客さんが少なめで、静かな住宅街に、
素晴らしいご神木、かわいいたちが何匹も!のんびりとした心地よいお宮様です。

伊勢の中でもトップクラスにゆったりとした
心地よい時間が流れているそんな場所です。

朝一番にきてゆったり過ごすのがおすすめですよ♪


この月夜見宮から、まっすぐ、外宮まで伸びた神路通りが本来の参道です。
月夜見尊さまが、夜更けにこの道を通り、外宮まで通うといわれ古来から「神の道」と呼ばれています。

可能であれば外宮に行く際は必ず、
先に月夜見宮様に参拝して、

この神の道を通り、

この道々に満ち溢れた月夜見さまの
月の光を感じて
外宮まで心穏やかに歩いていきたいものです。


月夜見宮
伊勢市宮後1-3-19

 

 

2、正宮 豊受大神宮

外宮の本殿、豊受様です。
食事を司る神様といわれ、多くの信仰を集めてきました。

 

日本神道の中心、お伊勢様、豊受大神様の前です。

ただ襟と姿勢を正して、深く頭を下げて、

毎日毎日、食事が食べられる豊かな日本に
この大きな奇跡に感謝をささげましょう。

ここはもちろんパワフルなエネルギーです。
ただ多くの崇敬者の集まる場所で、並ぶことも多い場所です。

後ろに次の参拝者さんがいるときは、
ゆったり立ち止まらず、
長時間お宮の前で祝詞あげたり
長時間お礼言ったり話し込んだりせず


次の参拝客さんに場所を譲ってあげて

すこし遠くから、迷惑かからないところから
時間をかけてお礼を伝えたりエネルギーを感じたりしたらよい
と思います。

 

3、下御井神社 しものみいじんじゃ

豊受大神宮を参拝すれば、そのまま奥の、土宮、風宮、多賀宮へといかれることでしょう。その土宮と風宮のちょうどあいだの奥当たり。
すこし目立たないので、あまり人が参拝しない場所に井戸の神様が祭られています。

水あるところに、祓いのエネルギーあり。

多賀宮の荒魂様にご挨拶する前に、
御井神社さまに参って、心を清めてから参拝できたらよいと思います。


4、渡会国見神社

多賀宮を参拝すると、もう外宮さまでの参拝は終わったかなといって、
勾玉池の方、あるいは内宮など別のお宮へと意識が向かいがちなのかと思います。

ただもう一つ、
そして私が一番お勧めしたい場所があります。

月夜見宮から神路通りを通って外宮へ来られた方は、外宮境内へ入ってすぐに、御厩(ご神馬のいるうまや)が目に入ったかと思います。
そのすぐ手前に、外宮の外から見て右側に細い道があったはずです。

この道の奥に度会国見神社と大津神社がございます。

まずこの細道が素晴らしいのです。
美しい学びの道です。

何かを気が付いたり、
何を思い出したり、

頭が、意識が、普段とリラックスした感覚になります。とても気持ちが良く何時間でも居たくなる場所です。

そしてこの道をまっすぐ進んでいくと、
一つ目にあるお宮が度会国見神社です。


そしてそして
この度会国見神社に祀られている神様こそが


伊勢神道をまとめた神官。

度会氏の祖神なのです。

 

現在まで続く、神道の教え。
その源流がここにあると感じています。

静かに敬意をもって参拝して
お礼と感謝を伝えたいと、いつも思っています。


【外宮様を参拝したときの僕の体験】

外宮様参拝した後の
僕の個人的な体験・感覚として、
毎回感じるのは


外宮様参拝した後は

難しい本の読書がとても捗るんです!


初めて外宮様を、参拝した後、倭姫宮様近くの神宮美術館に寄ったとき
ナチュスピの分厚いニューエイジの本を
何時間も集中して読むことができた記憶があります。


特に神様にそういうお願いをしたわけではありません。
外宮様にはただ感謝を伝え、ご神気を感じてきただけです。

外宮様にはもしかすると「思想・学問」へと
強い学びのエネルギーが流れている
のかもしれません。

 

【まとめ】 

お伊勢様参るときは内宮や二見浦、おかげ横丁だけでなく、
ぜひ外宮様にも寄ってみて下さい♪

 

 

↓詳しい、神社、パワースポットでの参拝の仕方、心構えは良ければ、こちらをご参考ください↓

bodaijyu.hatenablog.com

 

菩提樹 ルドラクシャが初めて主催するイベントです。

僕の伝えたいこと、学んでほしいことの非常に多くが、

サウンドアーティストmacoさんによる
この富士山でのリトリートに込められています。
ぜひご参加ください!

 

bodaijyu.hatenablog.com

 

【パワースポット】ご縁がある所、神様に呼ばれるということ【1社目】鹿島神宮

【パワースポット紹介】社目

趣味で日本中の神社、盤座、パワースポットを回っています♪仕事でも様々なパワースポットツアーを企画させてもらい本当に様々な場所に行かせてもらいました。導かれたとしか思えない様々な場所、そんなパワースポットを紹介したいなと思います^^ 

 

【どこの神社にいくことにするのか? ご縁がある場所へ呼ばれる感覚】

ぼくにとって特別ご縁を感じている場所の一つが「鹿島神宮」です。何故かわかりませんが9年ほど前からほぼ毎年1回は必ず、参拝させていただいています。どうしてかわからないのですが急に行きたくなるんです。

 

だいたい年末が近づいてくる頃に、

なんとなくどこか行ったら楽しいだろうな!

自分だけのゆったりした時間がすごしたいな!

そう思い始めてきて

 

最初は鹿島様が頭にすぐに浮かぶわけではないのですが、

 

だんだんと茨木県が気になったり、

太平洋が気になったり、

北に行きたくなったりしてきて、

 

そしてふと、ある休日を迎える前の晩や

休日の早朝にハッと気が付くんです。

 

ああ鹿島様に最近、ご挨拶していない!と

 

この時の感覚は「いかなきゃ!」って感覚です。

 

そんなときは「神様に呼ばれちゃった~」

なんて、思って行くって決めるわけなんです。

 

 

【神様に呼ばれるという感覚ってなに?】

 

ただ実際「神様に呼ばれた、導かれた」
そう表現をする人はたくさんいますが、

 

本当は、自分が行きたくなっているんです。

 

自分の気持ちにただ気が付いたのです。


詳しく言うと、
自分のハートがある瞬間「神社」のエネルギーと共鳴して動き出した。
それで急に行きたくなるんです!

 

それが、急に気が付く感覚なので

みなさんまるで

「神様に呼ばれたような」

気分になります。

 

ただ実際は

あなたの中の心の反応です

あなたの中の神様
あなたの中にいる神性さ
「ここに行きたい!」って動きはじめたのです。

このとき人は神様に呼びかけられたと感じるんです。

 

 

【神様に呼ばれたどうするの?】

 

神様に呼びかけられた感覚これは

あくまで自分の中から生まれた感覚なのです

 

だから、

「神様から指示をもらったのでいかなくてはならない」

「万難を排してでも従わなければならない」

なんてことはありません!

 

ほかの予定があれば、気が乗らなければ、

大変であれば、別に行かないでよいのです。

 

「呼ばれた」って感覚に流されることが一番いけません。

 それは外の神様に、あなたの生命をゆだねることです。依存です。

 

あなたが
無理にスケジュールを作って予定をドタキャンして、
仕事を仮病で休んで、ほかの人に迷惑をかけて
神社参拝をする

「それで神様が喜ぶと思いますか?」

 

これはスピリチュアルを学んだ人の陥りやすい罠です。

 

この世界に生まれてきた僕たちが、まず一番に大事にすべきは、
この三次元に存在する自分周りの人たち」です。

 

そこを犠牲にして行う「スピリチュアルな行為」に本物は存在しえないです。

 

神社参拝をする前に、まず回りに迷惑をかけないこと、
これがとても大事なことです。

 

【自分の中の声に従う】

 

だけど誰かに迷惑かけることがないのであれば、
すべて、フォローができる、ありがたい環境であれば、

 

自分の中の神様の声に従って、
ぜひ行ってみてください!

 

呼ばれたって感覚」をまずはじっくりと自分の状況と照らし合わせ
ちゃんと考えて、自分で行くことを判断すること

 

この手順がしっかりあるのであれば、
あとは自由に決めれば良いのです。

 

「行きたい」という感覚は、あなたの中の神様が振動したことで始まっています。

その心に従っていけば、素晴らしい体験が待っていることでしょう♪

 

  • 本殿の前にたったとき、何かしらの体験をするかもしれません。
  • 神社の地で誰かと出会うかもしれません。
  • ただ癒しが起こるかもしれません。
  • シンクロニシティ、ご縁、前兆、様々な奇跡が現れるかもしれません。
  • もちろん、なにかが起こったとは感じないこともあるかもしれません。

 

なにがあろうとなかろうと
自分のハートに従って参拝した
その行為そのものがとても美しく尊いものです。

 

その「行きたい」を現実化させたことで、
あなたは自分の内なる神をこの世界に表現したのです。

 

これが
「神様を表現すること」
「自分が神様になること」
なのです。

 

 

鹿島神宮様】

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西の一の鳥居 途中のバスから見えます^^



 

さてやっと本題です(^^
僕は先ほどの感覚に従って、本当にふらっと鹿島神宮に参拝します。

 

東京にいると鹿島様は本当に簡単に行けます。
ただ東京駅にいってバスに乗るだけです。
バスで二時間、寝たり、本読んだり、好きにしていれば鹿島様は目の前です!

 

 

鹿島神宮とは】

全国の鹿島神社の総本山で、神武天皇元年創建といわれる日本有数の伝統をもつ、北関東を代表する古社です。ご祭神の武甕槌大神は日本建国(大和朝廷建国)に強く関わった神様で、古くから日本の守護神として信仰を集めてきた神社です。

 

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御本殿。少し昔の写真で最近は少し変わってますー

鹿島神宮
茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
TEL 0299-82-1209

アクセス・駐車場 | 鹿島神宮

【スポット紹介】

 

鹿島様はかなり広いです!
おススメしたい場所、紹介したい場所はたくさんあるのですが、
いくつか絞ってご紹介します。


内緒にしたいところもありますし( ̄▽ ̄)(ボソッ

 

 

1、遙拝所

 

鹿島神宮の正面の鳥居をくぐってまっすぐ、
手水社があるばしょのすぐ手前、
左側にいくつかのお宮が集まっている場所があります。
その中心には、二つの鹿島様の摂社の遙拝所があります。

 

鹿島様の摂社二社は、鹿島神宮から距離があり、
なかなかに参拝が難しいため、
鹿島様の境内の中にわざわざ遙拝所が作られているのです。

 

ここの場所はエネルギーがわかる方は
他と違う感覚を受け取られるかもしれません

 

鹿島様の境内の中でも特に重厚感があり、
畏れ多くも感じるパワフルな場所の一つです。

 

2、奥社

 

次は言わずもがなの奥社様
武甕槌大神の荒魂が祭られているといわれています。

 

もうここは百聞は一見に如かず!
写真を見てただ感じてみてください!

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鹿島神宮 奥社



 

 できたらご自身でご挨拶されてください

 

本当に自由で、雄大で、そして愛に満ちた
そんな神様がいる場所!
そんな自分が現れてくる場所なのです。
ただただ感謝です。

 

 

3、「要石」

 

「要石」は伝説の残る神聖な磐座です。その地下で地震を起こす大鯰を抑え込んでいるとも伝えられています。とにかく何かを守っている場所。特別な場所です。

 

ただ僕の個人的な意見としては、ご自身のハートに導びかれて「御礼」「ご神事」「ご奉納」がしたい、そう感じる方だけがいかれればよいのではと思います。

 

私は鹿島様を参拝させていただく時も、数回に一回程度しか要石には行きません。
もちろん特別な磐座です。けれども、ただご挨拶に行くような場所とは違うよなあと感じています。
またここは特に我欲のお願い事をしてはいけない場所だと思っています。

 

 

4、御手洗池

 

鹿島様の清浄な湧水がわく、祓い清めの池です。かつては皆、この地で禊をしてから参拝しました。伊勢神宮五十鈴川のような祓い、浄化の象徴なのです。

 

手を清めて、おいしいお水をいただいて、体の中まで清めましょう。水汲みして持ち帰ることもできます♪

 

 この周辺、歴史的にも本当に聖地ですし、御手洗池そのものを中心にいまでも素晴らしいところなのですが、数年前に比べてしまうと、なんとなーくすこしくたびれてしまっているように僕は感じています。

 

まあいろいろあったようです・・・。
湧水の湧いていた場所が台風で崖崩れがおこったり、御手洗池の脇にあった大木(ご神木?)が地震で崩れた正門の大鳥居の再建のために切り出されてしまったり、これはかなり前からですが、御手洗池すぐ横のスペースが、神宮ではなく鹿島市の公園となってしまい、公園入り口の崩れた鳥居がいつまでも復旧されなかったり。公園内の掃除がいきとどいていなかったり・・・。

 

ということで、このブログを見られた方で
鹿島様にいかれる方
もしよろしければお願いがございます。

 

御手洗池から公園側の奥のほうに大黒社様があります。
御手洗池周辺を司っているお宮なのだと思います。

 

 

もしよろしければ、このお宮様で、

神様の幸せ、鹿島神宮の幸せ、御手洗池周辺の清浄化」をお祈りくださいませんか?

 

その本当の祈りが重なれば、神様が喜ばれて、くたびれてきた場所も
いずれはもとの神聖な地へと戻っていくと思うのです。

 

このことは、もしかしたら、お水を飲むこと以上に、
あなたの内側の祓い清めにもなるかもしれません。

 

こういったご神徳(真徳)を積む行為も

パワースポットに行かせていただく、大事な理由なのだと思っています。

 

 

【ご利益的な話】

前にもお伝えしましたが、神社に行けば、それで特定の御利益がいただけるというのは少し違うと思っています。

 
ただ鹿島様の地域は当時の大和朝廷にとって国の最前線(その北は蝦夷、敵国でした)つまり国を維持し、国体を守るための重要拠点でした。

 

もし鹿島様でお願いをしたいのであれば、

 
いつものお願い

「私の人生をどうぞ人々の幸せのために、世界の成長と進化のために使ってください。私はそのために自分の使命を生きていきます」

 

あるいは

「この国の人々、すべてが平和で幸せでありますように」

 

そういった願い事が良いのではないかと思います。

国を守ってくださる強い強い守護神様です。

 

 

↓詳しい、神社、パワースポットでの参拝の仕方↓

心構えは良ければ、こちらをご参考ください!

 


 

 

 

【結論】

 

とにかく僕は「鹿島様」大好きです♪

ずっと大事にしているお宮様です。
よかったらぜひ参拝されてください♪

 

 

 

 

↓【 パワースポット紹介2】↓

 

bodaijyu.hatenablog.com

 

 

 

 

【パワースポット】奥山的、神社参拝のいろは

【パワースポットを感じる】

趣味で日本中の神社、盤座、パワースポットを回っています♪

また仕事でも様々なパワースポットツアーを企画させてもらいまして本当に様々な場所に行かせてもらいました。導かれたとしか思えない様々な場所を参拝してきたと思います。そんなパワースポットをいろいろ紹介したいなと思います^^ 

 

↓パワースポット紹介1社目はこちら↓

bodaijyu.hatenablog.com

 

 

神社紹介に先立って、

すこしだけ僕の信じる参拝方法

そして神様との関わり方についてお伝えさせてください

 

【神社での参拝法】

神殿の前で静かに礼をし、祝詞を奏上して、神様と一つになる感覚。これはいつ経験しても温かい安らぎにあふれた幸せな体験です。

 

神社参拝で大事なことは一つ

神社さんでお願い事をしてもしょうがないのです。

お願いする場所とは違うんです。

 

豊作を祈ったり、新生児の成長を祈るといったことは昔から行われていましたが、個人の願いをかなえるためのご祈祷、御祈願というのは江戸時代に神社が商売のために始めたことで、それまではほとんど行われていなかったといいます。(※天皇家や大名たちなど一般ではなく権力者のための祈祷は行われておりました)

神社はもともと我欲をお願いする場所ではなかったのです。よく言う「〇〇のご利益がある」というのも神社さんではそのほとんどが江戸以降、商売のために後付けされたものです。

 

神社さんは、

神様にあいさつして、

心身を清めて

人生をしっかりと生きていくって

もう一度自分に誓うところ、

だと思います。

 

もちろん、どうしても神様の助けが必要なら、お願い事したくなったら、それはそれでかまわないとは思います。何かに制限されるのではなく、自由にされるのが一番です。

 

ただ神様に依存して、なんでもかんでも助けてもらおうとする場所ではないことはわかってほしいのです。

 

何でもかんでも神様が助けて叶えてくれる。

ちょとこの世界はちがいますよ。

この世界はあなたが生きて創造する世界。

あなたが作り上げるのです。

創るのは神様じゃないんですよ!

あなたですよ!

 

 

もし神社さんでご挨拶をしてお願いをしたいときは、

下記のようなお願いがおススメです

 

「私の人生をどうぞ人々の幸せのために、世界の成長と進化のために使ってください。私はそのために自分の使命を生きていきます。」

 

文面も、内容も、もちろん自由なのですが、

あくまで自分がどのように生きたいのかを、

宣誓する気持ちから発する願いがよいのかなと思います。

心からその気持ちで祈れば、心の中に喜びの感覚が生まれてきて、神様と共鳴していくはずです。

 

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※こちら同族の奥山家が長年守り、信仰してきた浜松の方広寺の半僧坊さま。

お寺だけど神仏習合です(^^)

 

【神社での技法】

二礼二拍手や祝詞などの神社での作法は歴史の中で大きく変わってきています。

現在は二礼二拍手一礼と言われていますが、古式では一揖、二礼、二拍手、祝詞、二拍手、二礼、一揖だったと聞いていますし、現在の祝詞神社庁のもと全国統一されていますが、古式を紐解くと、「禊祓詞」だけでも、~みこと、~おおかみの違いから、濁点がつくつかないなど様々な違いがあり、正直何が正しいか、よくわかりません。

 

結局のところ、神職として伝統を守りたい方はともかく、

ただ日常で参拝したい方は、自分の好きなように参拝すればそれでよいのだと思います。礼にしても、祝詞にしても、そこで声を出して踊ろうが、あなた独自の作法について、神様はいちいち怒ったりはしません。

※神様の前で脱帽するとか、ごみを捨てないとか、大声で私語を離さないとか、後ろに人が並んでいるのに長時間本殿の前を陣取るとか、ほかの参拝客を不快にさせないための最低限のマナーは守りましょう♪ 神様は怒らないと思いますが、周りで見ている人が怒ります^^

 

【そもそも神様って何?】

 

そもそも神様はもともとあなたの中に存在します。

 

たとえばアマテラス様は太陽の神様ですね。

伊勢に行かなければ会えないというはずがありませんよね?

空を見ればいつでも拝むことができます。

八百万すべての神々はみな、目に見えないだけでいたるところに存在しています。

龍神だって天使だって、あなたがそこにいると感じれば、そこに存在します。

 

そしてその存在を感じることができるのは、あなたの内なる部分だけです。

 

神様を感じるとき、あなたのハートが共鳴して響いています。

 

実はもともと最初からあなたの内側に、

ハートの中に、八百万の神様は存在してるのです。

ただあなたが何か神聖なものを感じたとき、

ハートの中の神様が共鳴してくれるだけなのです。

 

なので神社に行った時に、おこなっているのは、

外にいる神様との対話ではありません。

 

神社の神様の鏡の前で

自分自身に、

自分のハートの中の神様に話しかけているのです。

 

ただ素晴らしい空間で、ハートを開いた状態で話しかけるから、特別な体験をすることがあるだけです。

 

自分の中の神様、自分自身にただしっかりと生きていくよ。頑張って生きていくよ。ハートから、喜びから、自分を偽らずに生きていくよと宣言しているだけです。

 

 

「自分自身が神様である。」

それを思い出したい。


これがあなたの中にある、「神社に行きたい」という衝動の奥にある本当の思いなのです。

 

そのために神社に行く。

パワースポットに行く。

この感覚に気が付いていることがだいじなのです。

 

【神社参拝が与えてくれる本当の体験】

「自分自身が神様である。」それを思い出したい。

 

この感覚に正直に

ただ祈り、生きていけば

いずれは体感があなたを神様の本質へ、

あなたの魂の本質へ導いていくはずです。

 

自分が神様であること。

あの人もこの人も動物も植物も水も大地もみんなも神様の表れであること。

すべてが美しく愛おしいという思い。

 

ただ感覚として、体感として、気が付く瞬間がやってきます。

それは一瞬だけの感覚かもしれません。

けれどもスピリチュアルの世界で「悟り」とか「覚醒体験」と呼ばれるものの一つなのです。

 

 

神様と向かい合っていていると

自分のハートの中の一部分が、

 

アマテラスという神の名を通じて響き、

メッセージやイメージとなって答えをくれたり

 

スサノオという神の名を通じて、

エネルギーをくれたり、

 

龍神という名を通じて、

雨が降ったり、風を起こしたり、雷を落としたり

 

様々な気づきをいただける体験が、おこることあります。

 

その際も、その名前の神様に感謝するだけでなくて、

同時に、その体験を引き起こした自分という神様に感謝して、

自分に信頼をもって生きることがなによりも大切なことだと思います。

 

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こちら鹿島神宮、奥の宮の大神様。

 

 

【最後にワークの宣伝です♪】

自分の身体、自然、地球のつながりを思い出すワーク

内にある神を思い出すワーク

喜びから人生を創造することを思い出すワーク

生命を祝い、讃えるワーク

 

そんな特別な時間を河口湖で過ごします。

 

喜びから発する「自立した生き方」を実現するための

奥山の独立初企画、

菩提樹ルドラクシャの初イベントです♪

 

本当に最高の時間をお約束します。

 

3月31日~4月1日

ヴォイスアーチストmacoさんの導く

いのちの祝祭 リトリート

 

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ご参加お待ちしています♪